夕霧太夫が眠るお寺「淨國寺」 | 天王寺区下寺町

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淨國寺

夕霧太夫の眠る 淨國寺

2019年 花祭り 夕霧太夫行列の動画が公開

2019年の花祭りも多くの皆様に応援、ご参加いただき非常に賑やかなお祭りとなりました。
ご協力・ご参加いただいた皆様に改めて御礼申し上げます。 動画を公開しておりますので是非ご覧くださいませ。

夕霧太夫とは






夕霧太夫は日本三太夫の一人で絶世の美女と伝えられています。

1678年に27歳の若さで没した時には、「大坂中がその死を惜しんだ」といわれております。

「太夫」って?






遊女の階級の中で、最高位が「太夫」です。

夕霧太夫は、新町の元禄年間で800人以上いたとされる、
遊女の中でも最も美しかったとされています。

数々の芝居や書物にもその名を残す

亡くなった後もその美しさが人々の記憶に残り、夕霧太夫を題材とした作品が数多く作られました。
代表的な作品として以下があります。

・近松門左衛門の人形浄瑠璃
  【夕霧阿波鳴渡】

かの有名な江戸時代の浄瑠璃及び歌舞伎の作者である「近松門左衛門」も、 夕霧太夫を題材とした作品【夕霧阿波鳴渡】を残しています。
作中の「吉田の段」は改作【廓文章】の基となり、歌舞伎も上演されています。

・井原西鶴の浮世草子
  【好色一代男】

浮世草子を確立させた元禄の文豪である「井原西鶴」の作品【好色一代男】にも夕霧太夫は登場します。
作中で夕霧太夫について
「神代このかた、また類なき御傾城の鏡」
と表現されており、 ここでも夕霧太夫の美しさが読みとれます。

夕霧太夫の墓碑





夕霧太夫は、淨國寺にある墓所で眠っております。

夕霧太夫が亡くなった後、松尾芭蕉と並ぶ俳人「上島鬼貫」1688年にこの墓に参拝した折に詠んだ句
「此塚に柳なくともあわれ也」
が墓碑に刻まれており、現在でも参拝する方は後を絶えません。

「花祭り」夕霧太夫行列について

淨國寺では、4月の1週目の日曜日に「花祭り」夕霧太夫行列と呼ばれるお祭りを開催いたしております。

夕霧太夫・新造(しんぞう)・禿(かむろ)を含む大勢の行列が下寺町を行進する光景は大変見応えがあり、多くの方が見物にお越しくださっております。
一般参加として募集させて頂いている稚児さん向けの人形劇や、見物して頂く全ての皆さまに楽しんで頂けるお茶席も設けております。

各種ご案内

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